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川崎市高津区 武蔵溝ノ口駅・溝の口駅周辺 その3
駅南口~高津区役所・大山道標
ページ内の記事写真18枚(その1~4計78枚)  写真: 背景:
東急溝の口駅南口の高架下から見たJR武蔵溝ノ口駅南口(右)。両社の南口の間にはJR東日本ホテルメッツ溝ノ口が立地。
南口の駅前広場、南東方向。
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ホテルメッツ前、1階。
2階、ペデストリアンデッキ上。
駅前広場南東の商業ビル。
南西方向。
北西方向。JRの南口側から東急の南口方面。
東急溝の口駅南口前、高架線路をくぐる道。
高架下のオリジン弁当や西側の店舗。
居酒屋が多い北側の路地。
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西へ進み、大山街道との交差点。このあたりから北側の高津駅近くにかけて宿場町の溝口宿が形成されていました。大山は伊勢原市にある信仰の山。左折方向が次の写真で、右折方向が4枚後です。
左折して南へ進み、高津区役所東側交差点。川崎市は7つの区が東西方向に並んでいて、高津区がその中央に位置します。
右折して高津区役所方面。Wikipediaの記述を鵜呑みにしますと、溝口村は明治22年の8村合併で高津村になり、鉄道開通翌年の昭和3年に町制施行で高津町に。昭和13年に川崎市へ編入。
高津区役所。高津区は旧高津町以外の区域も含まれ、2023年時点の人口は23万人台。昔の地図を見ると高津村役場・高津町役場の記号は高津駅寄りの大山街道沿いにあり、そこに現在は川崎市大山街道ふるさと館が建っています。
大山街道を今度は北へ。右手前方には街道筋であることを伝える「庚申塔と大山道標」や、「陶芸家 濱田庄司」生誕の地の碑があります。
庚申塔と大山道標。歴史ガイド解説文:「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られた庚申信仰は、平安時代に始まる。特に盛んになった江戸期、この地に作られた庚申塔は、大山街道をゆく旅人の道標(みちしるべ)をかねていた。
川崎第一ホテル溝ノ口の前、「陶芸家 濱田庄司」生誕の地。解説文の冒頭部分:第一回人間国宝・文化勲章受章者 濱田庄司は、ここで生れました。父の家は溝口の和菓子「大和屋」です。解説文の最後:碑意は|陶匠は跡を留めず。
北へ進み、JR南武線踏切。次のページは踏切を渡って右折したところからです。高津町役場跡地と思われる川崎市大山街道ふるさと館へは直進して約500m先。
2018年3月撮影、2023年11月11日公開。
続き:その4 溝の口駅西口商店街~すずらん通り
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地図のでこのページを撮影しました。
神奈川県川崎市高津区 武蔵溝ノ口駅
・溝の口駅周辺 その1~4 写真78枚
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鷺沼
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宮前平
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高津
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用賀
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桜新町
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(→上り・北東)
稲田堤
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中野島
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登戸
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宿河原
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久地
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津田山
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武蔵新城
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鹿島田
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矢向
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尻手
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川崎
(→上り・南東)
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