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多賀城市 多賀城駅周辺 その2
末の松山・沖の井付近
ページ内の記事写真20枚(その1~7計166枚)  写真: 背景:
多賀城駅から鎮守橋を経由して南へ約380mの交差点。
右折すると末の松山(すえのまつやま)・沖の井方面。
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末の松山へ移動する途中右手、臨済宗妙心寺派 不リン寺(リン=燐の火の代わりに石、環境依存文字)。
みんなにお得! 協同組合多賀城・七ヶ浜スタンプ会の「わが史都角(まちか~ど)」。組合は解散し、史都角の使用は2021年3月末で終了しました。
末松山 寳國寺(宝国寺)。
末松山 寳國寺。奥(西)で松が茂っている場所が末の松山。
寳國寺の少し南、末の松山・沖の井無料駐車場。
右下の多賀城駅・末の松山・沖の井から、政庁などがあった左上の多賀城跡にかけてのマップ。
無料駐車場(左)前の道路、南方向。
無料駐車場より80mほど西北西。末の松山。"最古の勅撰和歌集である古今和歌集(延喜5=905年成立)に初めて登場し、以後みちのくを代表する歌枕として、多くの歌に詠まれました(市役所サイトより)"。
縦写真も1枚(北向き)。末の松山は多賀城市指定文化財。とはいえ所在地は諸説あり、ここ多賀城市八幡説が最も有力とのことです。この2本の黒松は保存樹に指定され、樹令約480年、樹高約19m。
津波が末の松山を越えるようなあり得ないことの例えで、「松山浪もこえなむ」「すゑのまつ山なみこさじとは」と平安時代の恋歌に詠まれました。江戸時代の松尾芭蕉も末の松山を訪れ感動、2014年には国の名勝「おくのほそ道の風景地」に指定。
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歌碑「君をおきて あだし(浮気)心をわがもたば すゑの松山 浪もこえなむ」古今和歌集 東歌。東日本大震災の津波もここを越えていません。
末乃松山 石碑。右は芭蕉が訪れて無常観を感じたことと、「契りきな かたみに袖をしぼりつゝ 末の松山 浪こさじとは」後拾遺和歌集 清原元輔 百人一首の42番目。
末の松山より南へ約80m。市指定文化財、沖の井。
松尾芭蕉も訪れ、こちらも2014年に国の名勝「おくのほそ道の風景地」に指定。江戸時代に仙台藩により名所整備が行われ、手厚い保護を受けていたそう。
小野小町、二条院讃岐が読んだ和歌(どちらも平安時代)。沖の井(沖の石)は古来歌に詠まれた歌枕。
周囲は住宅街。西方向。前方右に「末の松山→」を示す白い案内板があります。
東方向。左奥の突き当りで左折すると先ほどの無料駐車場方面、右折すると次の写真です。
右折して南方向。約130m先で国道45号に出ます。
2016年12月に撮影しました。
続き:その3 国道45号ロードサイド商業地
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地図のでこのページを撮影しました。
宮城県多賀城市 
多賀城駅周辺 その1~7 画像166枚
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