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その5
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東松島市 陸前小野駅周辺 その5
野蒜築港跡
ページ内の記事写真26枚(その1~6計144枚)  写真: 背景:
鳴瀬川の堤防から見た新鳴瀬川。南東方向。明治時代に国家を挙げての一大事業だった野蒜築港計画により開削されました。ここから北上運河側まで750mほどの長さの川です。
南方向。右が鳴瀬川。新鳴瀬川・鳴瀬川・北上運河に囲まれている左側は野蒜築港の市街地跡。野蒜駅からは鳴瀬川で隔てられて現在は行き来できないので、陸前小野駅のページに掲載しました。
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野蒜築港の市街地ほぼ中央。説明板、築港工事の工事概要等を記し業績を讃えた「紀功之碑」、土木工事に使われたとされる石製のローラー。
説明板。「野蒜築港とは明治政府の殖産興業政策のもと、岩手・福島・秋田・山形と宮城を結ぶ東北開発の最重要拠点として、鳴瀬川河口の地、野蒜に計画された日本最初の近代港湾建設事業です」。大久保利通 氏が中心となって事業計画を立案。
明治11年(1878年)に当時の最新技術を取り入れて野蒜築港第一期工事を開始。北上運河や新鳴瀬川を開削、市街地を造成。しかし大型船を停泊させる外港を建設する第二期工事は未着工で、野蒜築港事業は終了。(紀功之碑付近の道、北方向。)
南方向。「国際貿易港としての野蒜港の夢は実現しませんでしたが、横浜築港に先駆けること十一年、明治新政府の決断と人々の期待、内外技術者の英知を結集させて取り組んだ一大事業は、日本の近代化を実現するための大きな礎となりました」(説明板)。
南へズーム。左に海苔加工施設、右に工事事務所、突き当りに北上運河の堤防。
北上運河の堤防に上ってみると工事中でした。やや奥は鳴瀬川河口付近。(ここまで2018年2月撮影。)
大高森という山から見た鳴瀬川河口付近(2018年11月撮影)。河口の左右の突堤は明治期の地図にも記されています。中央やや下の建物が海苔加工施設。
(ここから2018年12月撮影)。工事完了後の北上運河。堤防上より、北東方向。右の堤防のすぐ右側が石巻湾。
南西方向。
西方向。やや左の奥に自転車観光拠点があります。
北方向。海苔加工施設など。
「浜市&バンダ・アチェ ビーチプロジェクト(可動式仮設東屋づくり)」による自転車観光拠点。
2004年のスマトラ島沖地震の津波被害が大きかったバンダ・アチェ市(インドネシア)の漁船の廃材を利用した装飾。
東松島市(左)とバンダ・アチェ市(右)の市域形状図や赤い手形。バンダ・アチェ市は人口約22万人、大きな「アチェ津波博物館」もある都市。
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自転車観光拠点近くの堤防から見た北上運河。北東方向。
北東へズーム。浜市漁港、浜市橋。奥は約8km先の石巻工業港界隈。
野蒜築港跡の石碑。
北上運河の堤防(左)と鳴瀬川の堤防(右)との角に設置。
北上運河の西端部。北上運河はここから石巻市の旧北上川までの13.9km。
南方向。
南西方向。鳴瀬川河口部。野蒜築港の船溜まり(内港)部分でした。
西方向。写真中央部に東名運河の水門があります。文化庁の東名運河パンフレットによると野蒜築港の追加工事として開削、わずか10か月で明治17年2月に完成、鳴瀬川と松島湾を結ぶ3.6km。北上運河と一体的な運河です。
鳴瀬川(左)の堤防上で北向き。
北上運河と鳴瀬川の堤防の角。「鳴瀬川浜市地区樋場(その2)築堤護岸工事」の表示。
2018年2月(8枚)、11月(1枚)、12月(17枚)に撮影しました。
続き:その6 北上運河と鳴瀬川の水際等
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地図のでこのページを撮影しました。
宮城県東松島市 
陸前小野駅周辺 その1~6 画像144枚
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野蒜
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矢本
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石巻あゆみ野
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蛇田
(→下り・東)
海沿い
(南西←)
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仙台港
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湊浜
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多聞山
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大高森
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野蒜海岸
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矢本海浜緑地
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石巻工業港
(→北東)
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