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その5
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仙台市若林区 薬師堂駅周辺 その5
史蹟 陸奥国分寺跡と薬師堂
ページ内の記事写真24枚(その1~5計110枚)
薬師堂駅北1出入口から西へ約150m。木ノ下白山神社の鳥居前。
鳥居西側の交差点で右折して北向き。史跡 陸奥国分寺跡(史蹟 陸奥國分寺址)への入口。広場整備工事が進捗する2017年9月の様子。
2017年5月時点ではこのような状態でした。前方が陸奥国分寺薬師堂仁王門。
国指定史跡 陸奥国分寺跡の解説。この奈良時代創建の陸奥国分寺講堂跡に、現在の陸奥国分寺薬師堂が建てられています。
現在の陸奥国分寺薬師堂仁王門(奈良時代の陸奥国分寺南大門跡)。江戸時代・慶長12年(1607年)の建築で宮城県指定文化財。
仁王門から薬師堂に至る参道。
参道の東側。
江戸時代に作られた陸奥国分寺鐘楼(仙台市登録文化財)。奥の方は先ほど鳥居があった木ノ下白山神社。
奈良時代創建時の陸奥国分寺金堂跡付近。
陸奥国分寺薬師堂。平成29年8月の市政だよりによると、奈良時代創建の陸奥国分寺は鎌倉時代初期・文治5年(1189年)の奥州合戦で焼失。しばらく後、慶長12年(1607年)に伊達政宗が陸奥国分寺を再建した建物が薬師堂。
西側から見た薬師堂。市内に現存する最古の木造建築のひとつで、国の重要文化財です。
西側の道路沿い通路で南向き。
少し南へ進んだ地点。陸奥国分寺跡の緑地広場。奥のほうは多目的広場やガイダンス施設。伊達政宗ゆかりの寺ということもあり、この界隈が観光スポット化するのかもしれません。
西向き。写っていませんが突き当りは現在の陸奥國分寺本坊。右の林には陸奥国分寺準胝観音堂があります。
陸奥国分寺 准胝(じゅんてい)観音堂がある林。
陸奥国分寺准胝観音堂。市の文化財課サイトによると、仙台藩六代藩主伊達宗村により建立された、江戸時代中期の朱塗の観音堂。延享2年(1745年)の建築で仙台市登録文化財。
准胝観音堂の北側、木ノ下公園。
道路沿い通路で北向き。左に木ノ下公園、右に薬師堂。
北へ進み、歩道のような通路の北端部。
もう少し北。奥のマンション(宮城野2丁目交差点付近)の北側は楽天生命パーク宮城や貨物駅。薬師堂駅から楽天生命パーク宮城へ行く際の最短経路となる道路ですが、試合観戦後の夜の帰路は暗そう。
道路東側。史跡発掘調査のために移転した住宅街跡でしょうか。奥は聖和学園高校薬師堂キャンパス。
聖和学園高校は特進アドバンス、文武両道の特進アスリート、リベラルアーツ、プログレスといったコースに分かれ、文武両道を謳う県立と違って生徒全員に武を無理強いしない模様。
ここは市有地(国史跡陸奥国分寺跡)の注意書き。
道路西側も空地。
2017年5月と9月に撮影しました。
薬師堂駅周辺の最終ページです。
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地下鉄東西線
西隣1.1km:連坊
地下鉄東西線
東隣1.5km:卸町
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宮城県仙台市若林区
薬師堂駅周辺 その1~5 画像110枚
1 薬師堂駅と駅前(24枚)
2 宮城の萩大通り~陸奥国分尼寺(22枚)
3 聖和学園・貨物駅・楽天観覧車(20枚)
4 木ノ下・史跡ガイダンス施設(20枚)
5 史蹟 陸奥国分寺跡と薬師堂(24枚)
 まとめ・要約版
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