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陸前小野駅周辺の見どころ まとめ
詳細版から駅前と商店街や野蒜築港跡を中心に写真38枚に要約し、まとめました。
ページ内の記事写真38枚(詳細版は144枚)  写真: 背景:
山から見た陸前小野駅(やや左の黄緑色の矢印の場所)周辺。
右(東)へ視線を移していきます。手前は石巻湾。
左で目立つ建物は(旧)浜市小学校。震災により閉校(統合して鳴瀬桜華小学校に)。
奥は平成の市町村合併相手、矢本の市街地。
鳴瀬川河口や野蒜築港跡付近。
JR仙石線 陸前小野駅。
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陸前小野駅を出たあたりの景色。約50m先で国道45号と交差。
陸前小野駅の東側、空の駅(おのくんの実家)。震災後に寄付された新品靴下で作られた縫いぐるみ「おのくん」の販売で有名。
小野駅前交差点、国道45号東方向。左にはビジネスホテル メトロ。
国道45号沿い東側の薬王堂東松島鳴瀬店。
国道45号沿い西側、ホームセンターのコメリハード&グリーン鳴瀬店。
コメリ前の国道45号、東方向。ここから過去の津波浸水区間。
国道45号を西へ進み、県道150号が右に分かれる鳴瀬町小野交差点の手前。
国道45号を西へ進み、鳴瀬大橋。
鳴瀬大橋から見た鳴瀬川上流方面。アーチ橋は三陸自動車道のもの。その手前に青い小野歩道橋、写真中央に当時の鳴瀬未来中学校、右に当時の鳴瀬桜華小学校が見えます。
仙石線車内から見た吉田川(左)、鳴瀬川(右)上流方面。逆流による洪水防止のため約8kmにわたって2つの河川が並行し、河口近くで合流。
吉田川(左奥)が鳴瀬川(右奥や手前)へ合流する地点。仙石線の鉄橋も写っています。
鳴瀬町小野交差点に戻り、県道150号北西方向。
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北西へ進んで小野の中心街に入り、JAいしのまき 鳴瀬支店前。
県道150号沿い、東松島市役所 鳴瀬庁舎(旧鳴瀬町役場)。鳴瀬総合支所も入居。
東松島市小野市民センター。このすぐ右が鳴瀬庁舎。
市民センター近くのディスカバリーセンター。震災後に開館。アメリカ海洋大気庁が開発した直径1.7mの球体スクリーン地球儀を設置。東北大学微細藻類研究室を併設。
七十七銀行矢本支店鳴瀬出張所前の県道150号。
旧道と別れて右カーブする県道150号。
鳴瀬町唯一の中学校である鳴瀬未来中学校。県道150号沿い。後に移転して、この校舎・校地は私立の日本ウェルネス宮城高等学校になりました。左は小野歩道橋への階段。
鳴瀬川に架かる小野歩道橋。渡った先は西小野歩道橋。
吉田川に架かる西小野歩道橋。
小野歩道橋より約1km上流。県道204号の東松島大橋(右)、三陸道の鳴瀬奥松島大橋。近くに鳴瀬奥松島I.C.があり、工業団地も造成。
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冒頭の展望写真で見えていた(旧)浜市小学校。
小学校前の道。震災前は多くの家屋が建っていた浜市地区の通り。
鳴瀬川の堤防から見た新鳴瀬川。鳴瀬川・新鳴瀬川・北上運河に囲まれた部分(写真右側)は野蒜築港の市街地でした。明治10年代、日本最初の近代港湾建設事業です。
野蒜築港の市街地ほぼ中央。説明板、築港工事の工事概要等を記し業績を讃えた「紀功之碑」、土木工事に使われたとされる石製のローラー。
北上運河、浜市漁港、浜市橋。奥は約8km先の石巻工業港界隈。堤防は震災復興工事後の姿。
野蒜築港跡の石碑。付近は野蒜築港の船溜まり(内港)でした。奥は鳴瀬川河口や海。
北上運河付近、海苔加工施設。
北上運河と鳴瀬川付近、「浜市&バンダ・アチェ ビーチプロジェクト(可動式仮設東屋づくり)」による自転車観光拠点。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波で787cm水位上昇。
復旧・復興工事で埋め込まれたと思われる多くのブロック。
2016年~2018年に撮影しました。
もしよろしければ詳細版へ。
(詳細その1) 陸前小野駅と駅前
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宮城県東松島市 
陸前小野駅周辺 その1~6 画像144枚
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野蒜
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矢本
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石巻あゆみ野
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蛇田
(→下り・東)
海沿い
(南西←)
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仙台港
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湊浜
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多聞山
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大高森
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野蒜海岸
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矢本海浜緑地
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石巻工業港
(→北東)
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