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遠田郡美里町 小牛田駅周辺 その6
蜂谷森公園と山前遺跡
ページ内の記事写真32枚(その1~11計296枚)  写真: 背景:
(2018年/10月撮影)小牛田駅から西へ直線距離で約1.3kmの蜂谷森(はちやもり)公園西側駐車場で北向き。やや奥の鳥居が公園入口。反対に南へ行くとページ下部の山前遺跡があります。
(2018/10)案内図と歴史解説文。南北朝時代の14世紀後半に大崎氏によって築城されたとみられる中世の城跡「七舘八沢」のうち、西から小舘・陣舘・狼之介舘・蜂谷森(舘の名前)の部分を公園化。沢は空濠。公園は東西に約420mの長さ。
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(2018/10)蜂谷森公園の西側入口。歴史解説文によると「小牛田は大崎領の東端に位置し、鳴瀬川対岸に進出した葛西・伊達氏らに対する最前線であった」。
(2018/10)公園の坂道を上ります。2つめの鳥居の手前。
(2018/10)坂を上り、丘の上の梅園。公園西部なので小舘の跡でしょうか。
(2018/10)いくつかの鳥居をくぐった先は天満宮。
(2018/10)右の解説文はこの公園特有の内容ではなく全国の天満宮に当てはまる祭神菅原道真公伝記。学問の神様。
(2018/10)天満宮付近から眺める小牛田駅西口市街。
(2018/10)梅園の東の芝生広場へ下りる階段。
(2018/10)空濠跡かも知れない窪みに橋が架かります。
(2018/10)芝生広場。
(2018/10)野外ステージ。
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(2018/10)芝生広場の北側、昭和の町村合併から30周年の記念植樹。
(2018/10)芝生広場の東側、公園中央部で西向き。
(2018/10)東向き。森へ突入。
(2018/10)森の中の道を東へ。前方左の明るい部分は案内図にバードバスと書かれている場所。
(2018/10)丸いバードバス(鳥風呂)付近で北向き。
(2018/10)バードバスの南東に架かる橋。西向き。
(2018/10)橋の東側で北向き。蜂谷森古墳の標柱と給水タンク。
(2018/10)東向き。蜂谷森公園東部の森。
(2018/10)蜂谷森公園東端、入口Cの階段。
(2017/9)入口Cの南東約150m。県道19号で北向き(ドラレコ)。左に白い字で蜂谷森公園と書かれている地点。大きな建物は支援学校の校舎。蜂谷森公園側はここまでです。
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(2018/10)ここからは山前遺跡側です。蜂谷森公園西側駐車場から南へ100mほど進み、山前遺跡(右)沿いの区間。
(2018/10)北西側から見た山前遺跡(やままえいせき)。
(2018/10)カーブして東へ進み、山前集会所(左)と山前遺跡北東側出入口(右)前。
(2018/10)山前遺跡は1976年に国の史跡に指定。約7千年前の縄文時代早期~中期、古墳時代~平安時代、そして中世と、長期にわたる複合遺跡です。
(2018/10)『当時この付近は海岸線と陸地の接点でゆるやかな入り江を形成しており、採集と狩猟によって生きる縄文時代の生活の場であったことがわかります』と美里町役場サイトの観光のページに記載されています。
(2018/10)山前遺跡は南北141m、東西約234m、面積約3万5千㎡。そのうち図の中央部の着色部分約1万2千㎡を史跡として保存。中央部以外は発掘調査後に住宅地化。
(2018/10)古墳時代の農耕の図と、大溝の解説文。二十数軒の竪穴住居跡と、その集落をとりかこむ防御の性格を持つ大溝の存在が山前遺跡の古墳時代の特徴。
(2018/10)南東側から見た山前遺跡。山前史跡公園にもなっていて、ベンチが置かれています。
(2018/10)南東部の区画。3枚前の図では灰色のものが描かれています。
(2018/10)山前遺跡中央部の庚申供養塔。
2017年、2018年に撮影しました。
続き:その7 ヨーク・役場・文化会館付近
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