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大沼郡会津美里町 会津高田駅周辺 その2
高校入口~天海大僧正誕生地
ページ内の記事写真22枚(その1~3計72枚)  写真: 背景:
会津高田駅から南へ約800mの大沼高校入口バス停前で北向き。2021年に創立100周年を迎え、2022年に坂下高校を統合して会津西陵高校となる県立大沼高校は東へ150mほど。
南向き。下野裏街道沿いの歴史のある市街地であることを物語る鍵型街路を改修したと思われるS字カーブ。
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南側からみたS字カーブ。
前のページから引き続き国道401号(下野裏街道)を南へ進みます。黄色い庇がある菓子舗や蔵の建物の酒店前。
北行き車線側の大沼高校入口バス停。
明治・大正期の高田は大沼郡役所の所在地でした。
万のような印がある蔵や法幢寺入口の石碑が左に。
法幢寺入口の石柱前で北向き。
会津見里町入口の交差点で南向き。写っていませんが左手前に会津高田納豆製造元の新田商店があります。
北向き。左は高田図書室や民俗資料室がある会津美里公民館分館。
高田公民館前バス停。北行き車線のりばで南向き。
北向き。明治初期の文明開化の頃から作り続けている開化まんじゅう等の小林開花堂(右)前。
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会津美里町公民館前。
南行き車線のバスのりば、天海大僧正像、護法石(左)、会津美里町公民館。
公民館と東邦銀行高田支店。
天文5年(1536年)に高田に産まれたと伝えられる天海大僧正。右の石碑は町長書。
「天海大僧正は徳川家康、秀忠、家光の歴代将軍に長年仕え、比叡山延暦寺の再興、日光東照宮の造営や東叡山寛永寺の創建など、中世末期から江戸初期にかけて活躍した天台僧である」。
天海僧正「護法石」。護法とは仏法を護ること。
護法石。「この石は、天海の両親が、伊佐須美神社奥ノ院であった現在の清龍寺文珠堂に誕生を祈願し、無事産まれたことを記念して、屋敷地内に建立したと口承されている」。
「慈眼大師(南光坊天海)は、現在地より国道を挟んだ西側の旧舟木家(天海屋敷跡)に産まれたとされる」。
国道を挟んだ西側。JA前(右端)に「慈眼大師御誕生地」と刻まれた石碑があります。左のお菓子の蔵 太郎庵高田店は「建物は昔から使われていた蔵宿で、当時の看板が今でも残っています」と公式サイトに。
もう少し南側の国道402号。天海大僧正通りという愛称が付いています。イラストは卵を図案化した会津美里町イメージキャラクター「あいづじげん」。
2017年12月に撮影しました。
続き:その3 中央商店街通り
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地図ので当ページを撮影しました。
福島県大沼郡会津美里町
会津高田駅周辺 その1~3 画像72枚
1 会津高田駅から下野裏街道を南へ(28枚)
2 高校入口~天海大僧正誕生地(22枚)
3 中央商店街通り(22枚)
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(→上り・東)
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